Artists

マークエステル Marc-Antoine Squrciafichi(Marcestel)

貴族の家に生まれた彼は両親の経営するカップエステルホテル・コートダジュールを訪れる上流社会の人々の中で育ち、若き外交官として大阪万博の年に初来日。日本の滲み(にじみ)文化に魅了され、帰国後アーテイストとなり、再度来日。日本神話を記した古事記や日本書紀から日本語を学んだ彼は、日本人以上に日本の古代歴史に精通するようになった。日本人独特の精神性を深く理解した彼は神話を独自の滲みの手法で描き続けている。マークエステルにはコートダジュールの景観や、自宅の壮大な庭園、紺碧の地中海の織りなす美しい風景が、彼の色彩感覚の原点で原風景として確実に存在している。彼の作品には、人の手によらない、日本的な滲み文化(自然の流れに任す)が加わり、芸術に本来の深みと広がりを醸し出しているのかもしれない。

マークエステル

寺田 琳 Rin Terada

青森市出身。金箔や銀箔、アルミ箔をはじめとし、様々な材料を用いた作品を発表している。彼の作品は自然の具象画からミニマリストな抽象画まで多様な表現方法を使う。彼の目的はモチーフを作ることではなく、芸術表現とその実現である。

寺田 琳

藤井 勝雲 Shoun Fujii

九州佐賀県有田市は、国内で唯一、長期にわたって、磁器の生産を続けてきた。透き通るほどに冴えた白磁の肌に、深淵のような呉須の色、絢爛豪華な錦彩の輝き、幾春秋を経ても、色あせない、有田焼の誇り高き伝統を受け継ぐ藤井勝雲は、82歳にして現役。その昔、鍋島藩が擁護した、鍋島焼・有田焼は、幕府や大名等に高貴な人々に献上され、贈答用に最高級品のみを焼いていたが、時代は異なり、今現在は、決して恵まれた環境と華やかな営みの中で、生み出されたものではない。藤井は孤高な存在として、彼の作品は、職人の技と素朴な感性、ストイックな純粋さと哀愁の中で、職人気質が作り上げたものだ。
藤井勝雲窯は、先人達の残した貴重な伝統工芸を守り続けるべく、大壺や大皿、飾り壺や花瓶などに、 一筆一筆、気の遠くなるような作業を繰り返し、作品に根気と情熱を注ぎ、丹念に手描きされた美術品を、数々世に送り出した。美術愛好家の所蔵品として、また、伝統陶芸品として、日本のエントランスを飾り、一方で海外の王族に発注される等、これほどの大作を未だ現役でつくる作家は、日本は、もちろん、世界にいない。

藤井 勝雲

小村 大雲 Taiun Omura

小村大雲(おむら たいうん) 平田出身で大正から昭和初期に文展、帝展で活躍した郷土を代表する日本画家の一人。
明治16年(1883)11月9日、島根県楯縫郡平田町(現出雲市平田町袋町)の穀物荒物商、 小村豊兵衛とカメの長男として生まれる。京都に出て都路華香に師事したのち、山元春挙の画塾早苗会に入門し画法を学ぶ。文展・帝展で受賞を重ね活躍する。
大正元年の第6回文展(日展の前身、文部省文化展覧会)で「釣日和」(島根県立美術館蔵)が初受賞。小村大雲は中央の花形作家として一躍脚光を浴びる。その後、連続受賞、推薦、無鑑査、審査員と画壇の中心的存在として活躍。
昭和の初期には出生地の平田に画室「竹里庵」を設ける。この頃から「大雲山人」の雅号を用いており、作品も円熟したものが多くなる。この作品は晩年期(昭和8年)未発表のもの。 昭和13年2月20日(1938)歿。享年56才

小村 大雲
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